としま文化フォーラム2015第3回に行ってきました。(後半)
2015.11.18
その他
(承前)
横澤さんは自身をデジアナ世代と称していたのも印象に残っています。横澤さんは今年34歳なのだと前置きをした上で、現在の30代前半世代は思春期から携帯電話やネット利用を始めた層で、友達の家の電話にかけたり、図書館で調べたり、というアナログな旧来のやり方と、携帯で直接本人に電話したりメールをしたり、検索サイトで調べたり、というデジタルな刺激の両方を多感な時期に受けているので、どちらの理解もあり、アナログ世代とデジタル世代の架け橋となれるということを言っていました。筆者も同い年で、ほぼ共通の体験をしているので、世代として一つの役割があるのかな、と考えさせられました。
横澤さんは日本におけるネット系コンテンツの価値の変動についても言及されていました。以前はiモードに代表されるネットサービスの多くが有料で、作り手にお金を還元するシステムだったのに対し、アメリカの企業であるGoogleやYouTubeは広告収入による収益スタイルによって、それらを無料で提供することになった。ユーザーからお金を取れない以上、作り手はスポンサーを探さなければならなくなった。そのことによってスポンサー都合を重視するため、ユーザーにとってコンテンツの質が下がる現象が2001年から2006年にかけて起こった。これらは広く認知されていることでもあるかと思います。ではそこで価値を落とさなかったものはなにか、となるとそれは人と人とのコミュニケーションであると横澤さんは言います。mixiやFacebook、Twitter、食べログなどのSNSでは個人がコンテンツを作る、個人が口コミを広げ、その本質的な価値は黒船来航以後も変わりがない。近年のSNSビジネスの隆興はそこにあるのだ、と。個人の表現の価値創造を行う場にチャンスがあり、その場として池袋は良いのではないかと言うのです。
ハロウィンイベントについてTVを始めとしたマスコミでは渋谷での騒動を含めたお祭りを報じていました。これは前述したヤンキー的価値観による盛り上がることのみを目的としたものであり、反対に池袋でのハロウィンは表現活動としての側面が強く、そこに着目して一過性でない持続可能なお祭りを形成していくべきであると言います。それらに必要なものとして、「自浄作用」、「インフラの強化」、「無目的客の回避」、「海外からの誘致」などのキーワードを挙げていました。海外から、という点では非言語的なものが強く、コスプレはひとつの手段として訴求力があるのではないか、という点も訴えていました。また海外からの旅行客が現在日本に来てまず行ってみたい場所として、神社仏閣や文化遺産を除くと挙げられるのが、JR渋谷駅前のスクランブル交差点である、と。海外の多くのメディアが日本を映す際に多くの人が密集して行き交うあの場所を使う関係で、日本=渋谷スクランブル交差点と印象づけられているそうです。そのために池袋を映画撮影などに使いやすいまちづくりをし、サービスを提供していくと良いのではないか、という意見は傾聴に値するものだと思いました。
表現活動という点で池袋モンパルナスについても触れていました。表現活動の主な拠点、アトリエはネット上にあるものの、池袋がその中間の役目を果たせるのであればそれはアトリエ村の再来になるのではないか、と。空き地に人が集まることで文化の種がある、と。そのための一手段として池袋の歩行者天国都市化を提案されていました。現在、歩行者天国での表現活動の規制が厳しいが、それを緩め、自治を重視して表現者たちの活動の場を提供できるようになると「国際アート・カルチャー都市」の実現へと一歩近づくのではないか、という意見には筆者も賛意を示します。いわゆるオタク文化に限らず、文化・国籍・人種を越えた多種多様なアーティストが自由な表現を求めて、この池袋に集まることを願ってやみません。